建武中興と楠木正成の真実

歴史山下弘枝

著者:山下弘枝

ISBN:978-4792607395

判型:四六判/並製

定価:1870円(税込み)

衆議院議員 稲田朋美推薦!
楠木正成の子孫である著者が、テレビの歴史観を覆す!
鎌倉幕府によって、朝廷を排除した武力による政治の世が始まった。楠木正成と後醍醐天皇が守ったものの正体とは!?

目次

第一章 楠木正成と彼らが目指した建武中興を知らずして「国體」は語れない 
一 戦後の占領政策によって歴史から封印された楠木正成
二 楠木正成は日本一のヒーローだった
三 GHQが最も恐れたのは万世一系の皇統、そして日本精神の要であった楠木正成
四 楠木氏のルーツは第三十代敏達天皇まで遡る名門だった
五 楠木氏の家紋「菊水」、そして「橘紋」
六 楠木正成は毘沙門天の申し子だった
七 神徳で国家を治める天皇と、武力や権力で国家を治める外国の皇帝・王との決定的な違い
八 「七生報国」とその真髄にある国體護持の精神
九 武士道のルーツ「楠木流兵法」
十 楠木正成は朝廷とも深いパイプを持つ畿内有数の豪族だった

第二章 楠木正成は「悪党」ではない 
一 「楠木正成悪党説」は戦後の歪曲された自虐史観によって生まれた
二 NHK大河ドラマ『太平記』は『太平記』とは全く別
三 楠木家と観世家との深い繋がり
四 後鳥羽上皇の国體中興のご遺志を継承された後醍醐天皇
五 後醍醐天皇が修めた「立川流」に関する情報は間違いだらけ
六 国家の再生を願った後醍醐天皇が信仰した真言密教
七 後醍醐天皇の第一回倒幕計画「正中の変」
八 第二回倒幕計画「元弘の変」
九 笠置山を皇居とした後醍醐天皇の真意
十 天皇を「凶徒」と罵った鎌倉幕府の異常さ
十一 楠木正成、天皇の霊夢によって華々しく歴史の表舞台に躍り出る
十二 楠木正成、赤阪城で挙兵
十三 楠木正成の並外れた知略によって幕府の大軍を翻弄する
十四 千早城攻防戦
十五 「千早城未だ陥ちず」の報により幕府の権威は失墜、全国倒幕運動の火種となる

第三章 楠木正成の献策を退けた後醍醐天皇の真の思い 
一 足利尊氏の野心を真っ先に見抜いた大塔宮護良親王
二 「足利高氏」から「足利尊氏」へ
三 親王暗殺という大逆罪を犯した足利尊氏・直義兄弟
四 躁鬱病に悩む足利尊氏と、それに振り回される足利家の家臣達
五 楠木正成は足利尊氏との戦いに必勝できる自信があった
六 正成の献策却下は民を見捨てて自分だけ動座はできないという民をひたすら想う後醍醐天皇の心によるものだった
七 桜井の訣別に立ち会った人物が残した古文書から明らかになった楠公父子訣別の真実
八 桜井の駅で楠公父子が宿泊した庄屋「清水家館」
九 桜井の訣別時点で、楠木正成の嫡男・正行が十一歳であったことは真実だ
十 楠公崇敬の気運は、正成自刃の直後に始まりGHQ支配まで続いた

第四章 後醍醐天皇・楠木正成が目指した「建武中興」とは「国體の中興し」である
一 民の安寧を第一とした後醍醐天皇の治世
二 歴代天皇が多くの御製を詠まれる意味
三 二つの皇統が並び立った時代
四 承久の変の後、朝廷を意のままに操ろうとした鎌倉幕府
五 幕府が皇位継承に介入し、皇統は大覚寺統と持明院統に分断される
六 国體の喪失が和を乱し争乱を招く
七 「後醍醐」という名に込められた意味
八 天皇による神祀りを中心とした祭政一致体制から、血で血を洗う武断政権へ
九 源氏から政権を乗っ取った北条氏による恐怖政治
十 何故、建武の中興は僅か二年で崩壊したのか
十一 湊川の戦い直前に究極の悟りを開いた楠木正成
十二 湊川の戦いに臨んだ楠木正成の秘策
十三 湊川の戦いで新田義貞が撤退したのは楠木正成の指示によるものだった
十四 巨星墜つ~楠木正成の殉節とその詳細~

第五章 楠公精神こそ、今後の日本再生の要だ
一 敵も味方も楠木正成を大絶賛
二 後醍醐天皇の遺言の真意
三 楠木父子を深く敬慕した足利父子
四 恩讐を超え、敵と味方は共に眠る~嵯峨野・宝筐院~
五 室町時代、既に楠木一族は一目置かれていた
六 皇統の合一を強く願った楠木正儀
七 観応の擾乱勃発と楠木正儀の動向
八 楠木正儀の北嚮の真意
九 織田信長も豊臣秀吉も、楠木正成を敬仰していた
十 徳川光圀による大楠公墓碑建碑が大きなターニングポイントに
十一 吉田松陰、松下村塾で楠公精神を教え、多くの門弟を維新の志士として輩出
十二 楠木正成は永遠に生き続けていると説いた「七生説」
十三 日本再生の要は楠公精神だ

おわりに
参考文献