右京雄一論説」カテゴリーアーカイブ

朝鮮半島について少し勉強してみましょう。  反日の元凶は李承晩だった。

朝鮮そして南朝鮮、在日朝鮮人について、簡単な歴史を知ることは決して損にはなりません。むしろ反論する為にも知識として必要なことかもしれません。ごくごく簡単に事実だけを並べてみたいと思います。

一言で言えば、反日政策全ての元凶は、李承晩にあるといっても過言ではありません。

李承晩は、明治8年(1875年)生まれです。まあ朝鮮の独立運動家といえます。家柄は良く、生家は李氏朝鮮の初代王である太宗の長男で世宗の兄である、譲寧大君の末裔とされています。朝鮮で言うところの貴族に当たる両班(りゃんばん)という家柄です。

李氏朝鮮の時代は、国民の中のごくほんの一握りに過ぎない、朝鮮貴族の両班が、民衆に対して絶対的権勢を振るっていました。特に、奴婢(ぬひ)と呼ばれるアメリカの奴隷にも近い民衆が、一枚の書状により身分が決められていました。なかなか奴婢の所有者は一般民衆である良民には解放しませんでした。

奴婢という身分の女性を売り買いすることなど自然なことだったのです。女性の奴婢は、奴婢として動物的扱いを受け、貧しくいるよりも、はるかに肉体で稼ぐほうを望んでいたのです。売春婦の多い理由のもとがこれです。

ですから、両班からすると、日本によって奴婢が解放され、民衆に力が与えられることは大反対となります。ましてや自分たちの権力を奪った日本が憎くてたまらなくなります。それが日韓併合での反対勢力で、両班というごく一部の勢力ということがわかります。

李承晩が抱いていた思想は、あくまで朝鮮半島は両班のものであるということです。
朝鮮半島の人も富も、すべては朝鮮人の両班のものでなければならないと考えていました。

朝鮮は、国として貧しすぎ、政治も儘なりませんでした。さらに共産主義の台頭があり、そんな半島を救うために国際条約が交わされ、朝鮮半島は日韓併合により、日本が統治することになりました。本来は日清戦争により朝鮮の独立を世界に認めさせるだけで日本としては充分だったのです。清国から多額の戦争賠償金を受け取っています。李承晩は上海に逃げ、「大韓民国臨時政府」を樹立しました。そして勝手に初代大統領を名乗りました。大正8年(1919年)の出来事です。

大東亜戦争後、朝鮮半島北部で、金日成の共産国家設立の動きに対し、米国に亡命していた李承晩は、朝鮮半島での反共産勢力による早期国家設立を米国に迫りました。

金日成について簡単に人物像を紹介します。大正元年年(1912年)の生まれで、小作人の息子という貧しい育ちであったことは間違いないようで、両親とも熱心なキリスト教信者といわれています。父親が共産主義による抗日パルチザンとも言われています。金日成は三・一独立運動の時、現在の中共に母親とともに逃れています。そこで中共共産党に入党し、半島での独立運動家として抗日闘争を始めました。日本軍に終われソ連に避難したこともあり、スパイ容疑でソ連に拘束もされています。中共側の保障により解放され、中共共産軍と軍を組織し、朝鮮労働党の設立とともに北側の指導者として地位を認められました。その後スターリンには支援を求める関係になりました。

李承晩との違いを一言で言えば、貧富の差といえます。

北朝鮮に遅れること1年4ヶ月、李承晩をリーダーとする「南朝鮮過渡政府」が、昭和22年(1947年)6月に設立されました。このような経緯により、南北に朝鮮ができたのです。

北側の共産国家は、金日成と毛沢東による武力で統一を押し図りました。南朝鮮で樹立された、米国中心の連合国支援国家である、大韓民国(李承晩)政府に対して、連合国は半島の統一問題を提起しました。
国連での話し合いが始まると、北朝鮮は「朝鮮人民共和国」の成立を一方的に宣言しました。金日成は、当時日本のインフラである発電所や化学工場などを、占領接収していました。

金日成は、南朝鮮への送電を断ち、共産ゲリラを送り、そして済州島にできた北側の勢力である「済州島共和国委員会」と共に、武装蜂起をしました。
直ちに、李承晩は済州島に軍を送り弾圧迫害をしました。これが済州島四・三事件といわれものです。この事件で島民の20%に当たる約6万人が殺害されています。そしてこの時、難を逃れた朝鮮人が、済州島から日本へ密航して逃げて来ました。済州島出身者が、在日朝鮮人として多くいる理由です。

李承晩は米国に軍備支援を要求しました。このことが金日成に危機感をもたせ、スターリンに支援を要請することになったのです。ソ連軍事顧問団と共に、北朝鮮が南侵計画を策定したのです。
これが「朝鮮戦争」の始まりです。南朝鮮軍は警戒もしていない状態のところに、共産ゲリラの蜂起と、北朝鮮軍11万人が攻め込んで来たのです。たまらず、南朝鮮軍は追われて、釜山近郊まで退散を余儀なくされました。

在日米軍は、本国からの指示を待ちましたが、特に指令は無く、1個師団しか送れませんでした。その米軍は、水源付近で北朝鮮軍を迎え撃ちますが敗退してしまいました。この時、朝鮮半島から日本へ大量の難民が大挙して来ました。日本も、戦後の決してまだ豊かではない復興中にもかかわらず、多くの朝鮮人が難民というか逃げてきたのです。

この時南朝鮮軍として主に戦っていたのは、元日本軍の朝鮮人兵士です。釜山近郊の防衛線を死守したのは、元日本軍人で天皇陛下から勲章を授与された金錫源(キム・ソクウォン)でした。

作戦を駆使して米軍艦隊の砲撃で北朝鮮軍を叩き初めて勝利しました。この時日本政府が、米軍に派遣要請をしているのです。日本は、自ら参戦することは絶対許されず、まだそのような能力も持ちませんでした。何としても南朝鮮を救いたかったのです。

米軍(マッカーサー将軍)は仁川に上陸し、北朝鮮軍を挟み撃ちにします。敗走する北朝鮮軍を追い、昭和28年(1953年)10月には平壌まで追い込みました。

その時、突如敗走していた北朝鮮軍が反攻してきました。100万と言われる中華人民共和国(毛沢東)の人民解放軍でした。米軍はその勢力に押され、現在の休戦ラインの38度線まで後退しました。
一方、人民解放軍の被害も甚大でした。北朝鮮軍は、38度付近で補給切れになり、連合軍とは小康状態になり休戦となりました。その状態が、現在も続いているということです。

朝鮮戦争では、北朝鮮軍による兵士、一般市民の殺害犠牲者は、南朝鮮軍約20万人、一般市民約200万人、連合国米軍約1万人、北朝鮮軍約29万人、中共人民解放軍約14万人という尊い命が、朝鮮半島で犠牲になったのです。

南朝鮮軍が釜山に追い込まれた時、李承晩は米国に一時非難し、米軍の支援を画策しましたが米軍は動きませんでした。米軍が動いた理由は、日本政府の支援により金錫源将軍が、米海軍との連携で反攻できたから、米国の支援が決まったという事実です。このことはアメリカ歴史公文書館に記録され、保存されています。

李承晩は南朝鮮に戻ると、直ちに竹島に軍を送り、李承晩ラインをひいたのです。米国に竹島の領有を要求しましたが、断られたので強引に占領したのです。

日本政府は、直ちに反発しましたが、南朝鮮の状況から日本は米国の意志を組んで静観しました。理由は、米国が「竹島は日本領土」と明言していたからです。

李承晩は、李朝時代が華やかな理想国家であるとして、国民に強制教育を行いました。

日本の教育制度で養成された教師、文化委員、大学教授達は迫害され、その地位を追われました。李承晩は歴史教育を捏造し、李朝時代の両班層が新しい国家を構築するように政権運営をしたのです。
その目的の為に作られたのが、日本による侵略論であり、日本植民地政策による迫害という捏造です。こうして安重根も英雄に祭り上げられました。
李承晩は、朱子学的社会化を始めました。当時の朝鮮半島は戦乱で焼け野原となり何もありませんでした。日本に避難した(逃げた)100万を越える朝鮮人達の帰郷受入れも不可能な状況であり、混乱をしていました。共産主義者には赤刈りと称し、捏造歴史教育に反発する教育者の迫害、強要、殺害とありとあらゆる暴挙を行ったのです。

このため済州島から、日本に避難した(逃げてきた)朝鮮人は、故国へ帰郷できなくなりました。戦前に白丁という奴婢・賤民層は故国に戻ると迫害され、財産を取られることを嫌い日本に残ったのです。これが在日朝鮮人のはじまりと言えます。

北朝鮮における戦争後の荒廃は、南朝鮮よりさらにひどく、帰れない故国になりました。在日でも北朝鮮系(共産主義者を含む)朝鮮人がいる理由です。

この北朝鮮系在日が、北朝鮮を支援する工作員を受け入れる場となり、日本で故国支援と称して稼いだ金を北に送金する機関ができました。

それが朝鮮総連合であり、高校の無償化補助問題で騒いでいるところです。公安調査庁と警察公安が、総連は反政府機関であり、北朝鮮の支援をし、対日工作員を育成している学校組織と認知しています。

李承晩の捏造歴史は、戦後の南朝鮮の若者がネジ曲げられた教育を受けていることを物語ります。日本文化は禁止され、いまだに日本文化に関する放送も一部は拒否する国です。ハングルは日本が併合した時、教育に採用して朝鮮人に広めました。これは伊藤博文が朝鮮国家の独立を願って採用したと伝わっています。それが今では漢字文化を失いかけ、李朝以前の朝鮮半島の歴史を知らない教師ばかりになりました。暴言としか言いようがありませんが、対馬も南朝鮮領と言って返還を要求するような国民ばかりです。

李承晩の捏造歴史を引き継がないと、南朝鮮の国家自体を否定することになってしまいます。国民の一体感と、日本からの支援を受けるためにこの捏造歴史による反日政策が続いているのです。

 参考文献「東京大学歴史編纂室資料」

 

「天皇陛下の戦争責任」などとばかげた意見の方へ(2014/01/20)

昭和天皇の私的なお言葉と言うか、ご発言に関しては文芸春秋の1990年12月号『昭和天皇独白録 』、『富田メモ』(日本経済新聞、2006年)『卜部亮吾侍従日記』(朝日新聞、2007年4月26日)などがあります。戦前戦中の御前会議等でのご発言には公式文書なりがありますが、私的発言については宮内庁内のことであり、常識的に侍従長なりが筆記用具片手に天皇陛下と会話されるとは思えません。さらにかつて認証式で天皇陛下との会話を漏らした大臣は辞任に追い込まれているように、あってはならないことなのです。まず天皇陛下の私的なお言葉が外部に伝わることはないと思います。三笠宮寛仁殿下も天皇陛下やご皇室内での会話に宮内庁の誰かが聞き入ることもなければ、ましてやメモ等は有り得ないということは仰っていました。

ですから上記の三点の文献の真贋については不明です。そして天皇陛下が万が一にも政治的な話題、そして靖国神社等の話を仮に宮内庁長官や侍従長にお話されたことがあったにしても決してメモ等の記録など残すわけはないと思います。その立場にあった人が、天皇陛下のお言葉を、たとえ自宅で家族にも話すわけはないし、マスコミに持ち込むなどと言うことは国賊ものと思います。

まさしく神聖にして侵すべからず、ましてやマスコミにより発表などされるものでもなく、全てが御崩御の後ということも何か釈然としません。従って私は上記三点については全く信じませんが、共通するほほえましいエピソードとかお人なり等はそうだろうと思いますし、周囲の状況からもお言葉と言うよりそのようなお気持ちだったのを代弁したのかもしれない面はあるのではないかとも思います。

昭和天皇の活動や日々の言動を記した「昭和天皇実録」が本年3月にいよいよ完成することになりました。「実録」は天皇の没後に様々な資料に基づいて作られる記録書です。大正天皇の実録は黒塗りの部分もありましたが、昭和天皇の実録は黒塗りがありません。戦前戦後の昭和天皇のお気持ち等が明らかになります。昭和天皇のいわば公式記録ですから、富田メモとは全く次元が異なります。漏れ伝わるところによるとかなりのことが記載され、新たに明らかにされたことも多く含まれているとの事です。

GHQによる天皇陛下の戦争責任については東京裁判の記録なりが書籍も含めて、たくさん出版されているので参考にしていただきたいと思います。結論だけを言えば、アメリカ大統領が望んでいたであろう天皇陛下の戦争責任は、GHQ司令官マッカーサー、さらには東京裁判での判事によっても一切問われることはありませんでした。

戦勝国アメリカが、天皇陛下の戦争責任についてまったく述べていないのに、それでも国内で未だに天皇陛下の戦争責任などという、あまりにもばかげた主張をする有識者だかがいるということに驚きを隠せません。左翼なのか共産主義者なのかわかりませんが、GHQでさえ問えなかった、問わなかった天皇陛下の戦争責任、その理由の大きな一つにマッカーサーの「これが天皇陛下ということでしたか」の言葉に尽きることが全く理解できないのだと思います。

おそらくその根拠として、大日本帝国憲法において、第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」を根拠として、軍の最高指揮権である統帥権は天皇大権とされ、また第12条「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」を根拠に軍の編成権も天皇大権のひとつとされていました。つまり大日本帝国陸海軍は天皇陛下により指揮されたから、と言うことを根拠にしているのかなと思います。こんなことを根拠に言うのは本当に日本国民かと疑います。日本国民は天皇陛下を国家元首として仰ぎ、全員が天皇陛下の臣民です。それだけのことです。

『昭和天皇独白録』には、「朕が股肱の老臣を殺りくす、此の如き兇暴の将校等の精神に於て何ら恕す(許す)べきものありや(あると言うのか)」「老臣を悉く倒すは、朕の首を真綿で締むるに等しき行為」と述べ、「朕自ら近衛師団を率ゐこれが鎮圧に当らん」と発言したとされています。この事は「君臨すれども統治せず」の立憲君主の、私は立憲君主であって、専制君主ではない。臣下が決議したことを拒むことはできない。憲法の規定もそうだ」ということを仰っており、臣下の決議に従うが、その責任は自分にあると言う、これが大東亜戦争の天皇陛下であったと思います。

『昭和天皇独白録』には、「辞表を出してはどうか」と昭和天皇が田中に内閣総辞職を迫ったという記述がありますが、上述のことを考えると疑問だと思います。昭和天皇は侍従長の藤田尚徳に対して「誰の責任にも触れず、権限も侵さないで、自由に私の意見を述べ得る機会を初めて与えられたのだ。だから、私は予て考えていた所信を述べて、戦争をやめさせたのである」「私と肝胆相照らした鈴木であったからこそ、このことが出来たのだと思っている」と述べています。

そもそも戦争は犯罪ではないと思います。戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も戦争自体が非合法ならまったく無意味なものになってしまいます。国際法は国家利益追及の為に行なう戦争をこれまでに非合法とみなしたことはありません。国家の行為である戦争の、個人責任を問うことは法律的には間違いです。なぜならば国際法は国家に対して適用されるものであり、個人に対してではありません。ましてや戦争を起こした国民への責任などとばかげた意見は、赤以外には誰一人として居るはずありません。誰が有罪か無罪かを決めるとすれば一般的には裁判官です。天皇陛下が仮に罪に問われるにしてもまず誰に対しての犯罪で、その誰かから被害として訴えられているのでしょうか? しかもポツダム宣言には天皇や皇室に関する記述がありません。

14-01-20-1

玉音放送時の皇居前広場です。天皇陛下に対して国民全員が陛下の気持ちをご察ししての行動です。

侵略戦争だの天皇陛下の戦争責任だという愚者に言います。ひどいのは天皇陛下が処罰されているとしたらとか、あの時出家すべきとか、過去に仮説立てても意味はありません。戦勝国アメリカも天皇陛下認め、SF条約で全て解決した事です。過去より将来について語るべきです。

14-01-20-2

昭和天皇崩御

—————————————————————————————————————————–

右京雄一

特定秘密保護法、スパイ防止法との関係は?!(2013/11/15)

今国会に特定秘密保護法案が提出され審議入りしました。与党多数によりこの法案が可決成立することは間違いないと思います。しかし野党を中心に盛んに左翼勢力が反対の声を挙げ始めています。マスコミは例のごとく産経・読売が政府寄り、朝日・毎日が反政府、日経がどちらに寄るのかという感じの論調です。果たして「特定秘密保護法」とはどんな法律で、日本と日本国民にとってどのような意味を持つ法律なのでしょうか。

人間誰しもが大きい小さいかはともかく生きていれば、1つや2つの秘密があるかもしれません。同じように、国家にも秘密があって当然です。例えば、軍事情報だとか、外交関係の情報はとても重要なものです。しかもその情報には日本と仲良くする外国から提供された情報も多くあります。こうした情報が漏れてしまうということは、日本にとって国際的信用が落ちることにもなり、そして軍事力等が仮想敵国等にばれるということにもなり、決して日本として良い事とは言えない状況になってしまうかもしれません。仲の良い国からの情報が途絶えがちになってはそれこそ国益の損失です。

但し、国民主権であり日本を動かしているのは一人一人の国民です。その国を動かす国民が国の秘密を知らないのは問題である、ということも当然に言えることです。しかし残念ながら日本国民とは言え全員が全員、国の秘密を守れるとは限りませんし、国民の誰しもが機密の保持という重要性を認識しているとも限りません。むしろどんな見返りか、もしくはどのような意図があるのかは別にして他国なりに秘密を教えてしまう人がいるのも現実です。

そこで検討され提出されたのが、特定秘密保護法案です。国家の秘密をしゃべった人、漏らした人を罰する法律です。国家の秘密といっても、国家の安全に関わる問題(防衛や外交等)に限定されています。現在も同様の法律があり、国家の秘密を漏らした人に対する罰則はありますが、軽い罰で済んでしまいます。そこで重い罰を課すことにより、国家の秘密を守ろうということになりました。

一方で、特定秘密保護法に反対の意見を持つ人たちもいます。この法律を政府が拡大解釈し悪用するのではということです。 たとえば、原発事故の情報が外交に影響を及ぼすことになるからと詳細を秘密にすると、国民は現状を知ることが出来なくなるのではないか、そして公務員がこの法案に過剰反応するあまり、メディアによる取材ができなくなるのではないか、ということです。

国会に提出された特定秘密保護法案では「外交」「防衛」「スパイ活動などの特定有害活動の防止」「テロ活動の防止」という4分野を対象にしています。「漏えいすると我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの」を「特定秘密」としており、大臣等の行政機関の長がそれを指定することができます。 そして特定秘密を漏らせば「10年以下の懲役」に処せられる、という内容です。

情報漏えいを罰する法律は、現在でもあります。国家公務員法は仕事を通じて知り得た秘密を守るよう義務づけ、違反すれば「懲役1年以下」。防衛に関する機密情報の場合は、自衛隊法で「懲役5年以下」と重くなります。さらに別の法律によって、米国から提供された防衛装備品や在日米軍の情報については「懲役10年以下」と定められています。今回の法案では、秘密の対象を防衛や外交に限らず「国の安全保障に著しい支障を与える恐れがある情報」に広げたうえ、一律に最高10年の懲役を科すというものです。政府が持っている情報に幅広く網をかけ、罰則を10倍に強化しています。

民間人に対しても、特定秘密を得るために(1)あざむき・暴行・脅迫(2)窃取(3)施設侵入(4)不正アクセスの行為をすれば最高で懲役10年です。共謀や教唆、扇動も処罰対象となります。一方で言論・報道の自由や国民の知る権利が損なわれるとの懸念もあるため、法案には拡大解釈や基本的人権の侵害を禁じる規定も盛り込まれています。

しかしだからといって特に民間人に対するこの規定だけでは専門的に行うスパイ工作活動の防止になるとは思えません。プロとしての組織的諜報活動であり、組織に対する処罰まで厳格化しないとトカゲの尻尾きりの繰り返しで終わってしまいます。そして何より国内外のスパイ諜報活動はこのような法律を制定し、罰則を設けるだけでは抑止できることにはなりません。結果としての罰則ではなく、予備的行為・その意志が確認される行為等のいわば準備罪も含めた「スパイ行為等防止法」が絶対に必要だと思います。

スパイ諜報工作活動は、組織的国家ぐるみの行為です。組織的認定から、予備的行為の範囲、そして最終的には国家としての何らかの相手国への制裁まで盛り込まれていなければなりません。昨年の農林水産省の中共人スパイ工作員の張春光事件を思い出してください。逮捕さえ出来ず、中共に対し抗議の声すらも挙げることが出来ませんでした。国家機密を守るということは簡単なことではありません、盗もうと意図する組織は複雑であり単純な活動ではなく、ハイテクな小道具まで使用します。特定秘密保護法だけでは不足だと思います。これでスパイ工作活動が防止できると思うのは大きな間違いです。

マスコミ左翼が盛んに主張する国民の知る権利が守られるのかという主張があります。知る権利とは、個人が自由に情報を受け取り、国家に対して情報の開示・訂正・抹消を請求する権利とされています。現代社会においては国民が必要とする情報は、国家やマスメディアが独占するようになりました。これでは個人が必要な情報を自由に得ることが困難になりがちです。情報化が進んだ現代において、表現の自由を一般国民の側から再構成する必要が生じたからです。情報の開示を求める権利は表現の自由の保障に欠かせなくなったということです。こうしたことから情報を保持する国家やマスメディアに対して情報の開示を求める権利を認めるように憲法第21条1項の表現の自由を解釈したのです。

しかし、国民の「知る権利」は日本国憲法の基本的人権には知る権利としては明記されておらず、最高裁でも認められていません。憲法に保障されていない知る権利の主張は原則通りません。国家機密の漏洩防止は国と国民を守るためであり、権利の濫用は国を滅ぼします。憲法が解釈により認めた個人の知る権利は、個人の年金記録とか社会保険情報等の個人的事情という範囲と解釈されているということです。特定秘密保護法にいう秘密の保護とは本質な違いがあるということです。

他の批判というか意見を見てみると
・内部告発との関係で、組織の腐敗を防ぐ一定の効果がある、それが薄れるのではないか。
・ TPPは外交に入り、原発はテロ活動と拡大解釈の恐れがある。

つまり日本の行政機関が秘密というものを適正に扱えるという体制にはなっていないのではないかとの意見だか見方もあります。しかしそれは日本だけではなくて、世界のどこを見渡しても、権力機関という組織は秘密を適切に適正に扱えないと思いますし、こうした法律を制定することにより経験し成熟していくものと思います。

以上の議論は実は法律そのものが秘めている問題であり、法律最大の問題は定義の曖昧さにあります。憲法の改正が難しければ、時代に合うように解釈として変更し運用していきます。なかなか定義として法律で厳格に規定することは困難であり、時代の流れもあり、国民の意識も変化します。

重大なこととして考えなければならないことは、国家機密というものは野党の議員にも知らされる事であると思います。野党の議員にまで国の機密事項が知らされないと、国権の最高機関が国家の行く末を判断するのに支障が出る恐れがあると思います。従って野党の議員も国家機密を知りえる責任があり、そのための国民の信頼も勝ち得なければなりません。現状では反日とか売国奴だとの言葉が飛び交っています。

さらに憲法 51 条には『両議院の議員は、議院で行なった演説、討論又は表決について、院外で責任は問われない』とあります。つまりは何をしゃべっても、秘密をしゃべっても、議会内においては国会議員は責任が問われないのです。従って機密情報の漏えいを厳しく問われるのは官僚だけにかぎらず、国会議員にこそ秘密厳守が求められると思います。ですから官僚が国民の代表の求めを拒否してまで機密情報を隠蔽する事など一般的に言えば「国民主権」の国家ではありえないということになります。 政治家としての責任は極めて重いということです。

たとえばある政策をめぐり官僚機構を中心とする統治権力と政治家が対立した時、その政策に関連した重要な情報が秘密に指定されてしまえば、政治家は官僚に対する最大の武器であるはずの「世論」を味方に付けることができなくなってしまいます。政治家は自分の主張が正しいかどうかを国民に問うことができず、いわば丸腰で官僚機構と対峙しなければならなくなってしまうのです。与野党問わず政治家として国家機密というものは、自身の思想とかは関係なく仮に共産党であれ、親中共・朝鮮の民主党であれ国益ということで計らなければならない使命と義務を負っているといえます。そしてその信頼たる国民の支持がない、評価もない議員など日本国にいてはいけないのだと思います。

しかし以上のような意見というか見方も、この特定秘密保護法の本質が、日本国として自国の防衛という大きな観点に立つということから考えれば単なる杞憂といえるのではないかと思います。この法案の可決が、今後のスパイ行為等防止法につながり、憲法第9条も解釈の変更だけではなく改正なりに飛躍できるのであれば日本と日本国民にとっては良いことだと思います。少なくとも日本の国防という安倍政権による政策が確実に進められているということだと思います。

右京雄一

2) 集団的自衛権、日本国憲法第9条(2013/11/13)

さらに砕いて言うと、この韓国の政府高官は朝鮮半島有事の際、アメリカと共に日本の自衛隊も参戦してくるものと勝手な解釈をしたのです。もっとも誤解もさもありなん、と思います。半島有事の際日本のアメリカに対する「集団的自衛権」は韓国に加勢するものではなく、米軍が攻撃された場合に日本の武力行使の要件を満たせば米軍を守るためにだけ日本が武力行使するということなのです。

感情論ではなく、韓国が北朝鮮に攻撃されても日本の集団的自衛権の行使には当たらず、日本が韓国を援護することは日本国憲法第9条に抵触してしまいます。日本が韓国を助けることは憲法違反になるので有り得ません。日本と軍事的緊張関係にある中国ですら、日本の集団的自衛権に「反対」という表現は使っていません。一般的に認められている国際規範により、日本の集団自衛権追求に対して国家レベルで反対の立場を表明することなどできないのです。

本来「集団的自衛権」は同盟国が攻撃されるか、同盟国ではなくとも自国の安全保障上不可欠な国の求めに応じて共同軍事行動を取るものです。例えば米国領であるグアムやハワイが攻撃され、自衛隊が米軍を支援するなら集団的自衛権の行使と言えます。しかし米国が本国の自衛の目的ではなく、国連安全保障理事会の決議もなしに行ったイラク攻撃やユーゴ爆撃、あるいは中共台湾関係にもし将来介入するような場合、日本が参加するのは集団的自衛権とは言えません。朝鮮半島にも同じことが言えます。

もし中共・北朝鮮なりがアメリカに向けて大陸間弾道ミサイルを発射した場合、途中で日本が打ち落とす、これこそ集団的自衛権の行使です。しかし現在の解釈では出来ないのです。友達がやられているのに止めも加勢もしないのは人道的にも許されないことだと思います。

憲法第9条の条文を素直に読むと、自国を守るための個別的自衛権まで放棄しているようにも見えますが、それでは黙ってただ攻撃されては国がなくなるだけです。政府の解釈では、自衛のための実力行使まで放棄していないとされています。ただ、この憲法9条の制約により、集団的自衛権は行使できないと解釈されているのです。つまり集団的自衛権については「国際法上保有しているが、行使はできない」というのがこれまでの日本政府が積み上げてきた解釈なのです。

それではどうしてそのようなことが起きたのでしょうか。全ては憲法第9条の条文に曖昧さがあるからです。逆に厳密に規定してしまうと、もしかすると憲法に縛られ身動きが取れなくなるので、時代にあった解釈で判断していけばよいということが憲法の精神ともいえると思います。

憲法9条の解釈により運用していく、これが日本の知恵だと思います。敗戦により米国に押し付けられた憲法、日本に二度とあの強い軍隊を持たせず永久にあの恐怖を味わいたくない、そんなアメリカの思惑が錯綜する憲法第9条なのです。そして憲法第9条を解釈により運用していくということはとても便利であるとも思います。改正や新憲法制定の困難さを解決してくれます。解釈の積み重ねが改正や新憲法制定と同じ効果、いやむしろそれ以上にもなると思います。

自民党の2005年8月1日に公表された新憲法草案では、直接に集団的自衛権に言及してはいませんが「自衛権の中に含まれる」と説明しています。このようにやはり中途半端というか現憲法に対するものと同様に、解釈での運用に頼らざるを得ないのは、「平和憲法」という米国だか左翼の勝手なネーミングが解釈等の邪魔をしているからだと思わざるを得ません。

「平和憲法」という呼び方を誰が決めたのか、この言葉が日本と日本国民そして日本国憲法にとって、確かにに聞こえは良いですが、全く安全が確保されているということには繋がらないのです。この「平和憲法」という言葉に騙され呪縛されているのです。憲法は平和を守るものであり、憲法そのものだけが平和ならその国家はどこからも侵略など無いと決めているようなものです。憲法が平和を守るためなら、きちんとその手段まで明記しないと、政府による解釈でしか運用できなくなるのです。「平和憲法」と名づける戦略に、日本と日本国民が平和なのでは?と錯覚させられ平和ボケに仕向けられているのです。日本を取り巻く周辺国との関係は少しも平和とは言えないことは理解できると思います。

憲法第9条の2項に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とあります。それでは自衛隊はどうなんだと言うことになりますね。これこそ政府の解釈として、国としての正当防衛があり、あらかじめ予想される攻撃の範囲内で準備することは認められている、つまり必要最低限のものであり、軍隊ではないので自衛隊だ、という解釈をしているのです。そして自衛隊の装備も必要最低限の範囲内ということになります。

「国の交戦権は、これを認めない」ともあります。しかし「前項の目的を達するため」とあり、国の正当防衛による武力行使は「前項の目的を」達する為ではないという解釈なのです。自衛隊は英文標記だとARMYであり軍隊です。憲法が委任する自衛隊法でも軍隊です。軍隊だから海外派遣できない、自衛隊だから平和貢献できる、しかし軍隊ではないから武器の使用は出来ない、戦闘地域に行き、やられれば防ぐことになり交戦権の可能性があるため派遣させられない、こんな状況も全て解釈により当たらないとして今日に至っています。

解釈というのは便利なものです。自衛隊には世界でも最新鋭の装備がいくらでもありますが、正当防衛における最小限度になります。こうした解釈を広げ続けていけば、既に周辺国が持つ核兵器ですら最小限度の解釈になり保有することも出来ます。自衛隊ですら海外派遣の貢献のために、世界は認めているのだから自衛隊員の士気高揚の面からも国防軍と呼称しようが、解釈により憲法違反にならないとなります。

私はなまじハードルの高い憲法改正・新憲法制定を待つより、解釈によって運用していくことが即応でき現状ではベストの選択ではないかと思います。もちろん世論の後押しが欠かせませんが。

安倍総理は、前政権のとき防衛庁から防衛省に格上げをしています。そして現政権で「集団的自衛権」を解釈により行使できるよう政策を掲げています。いきなりの現状からかけ離れた憲法解釈は許されませんが、徐々に解釈を変更していくことは時代に即応することであり許されると思います。

自国の安全は自国で守る、極めて当然のことです。これこそがもしかすると本意ではない日米同盟ではなく、対等な日米関係に繋がります。憲法第9条における「集団的自衛権」の解釈変更は、まさしく自国で自国を守る、その第一歩なのです。自国を自力で守れずして本来の日本は取り戻すことは出来ません。戦後の自民党政権、初めて真正保守といえる安倍政権により国の安全保障が議論され実現しようとしています。憲法解釈の変更という第一歩が、自力での軍隊になり自前で自国を守れ、真の独立国となり、日本ならではの世界平和に貢献できることになります。左翼の言う「平和憲法」という言葉に惑わされず、日本はまだ平和とは言えないことを認識し、国民の力を結集して日本を守っていかなければなりません。

右京雄一

1) 集団的自衛権、日本国憲法第9条(2013/11/12)

フランクリン・ルーズベルトは、1943年のカイロ会談で、蔣介石に尖閣諸島を含む沖縄の領有を提案しました。蔣介石が断ったので実現しませんでしたが、中共が尖閣領有権を主張する根拠の一部にされてしまいました。さらにルーズベルトは、1945年のヤルタ会談では、ソ連の対日参戦を誘うために、千島列島はソ連が取ったらよいと発言しました。現在でも米国が北方四島に対して何のコメントも発しない理由です。

こんなことを言う米国が、果たして日本の領土を守るために本当に米国として集団的自衛権を行使するのでしょうか。アメリカの若者が日本という他国のために命をかけて本当に戦ってくれるのでしょうか。勿論固く結ばれているといわれる日米安全保障条約があります。国際条約は相互主義が原則ですから、アメリカの危機に対して日本は知らん顔していいのかということになります。

お互いに助け合わずしてアメリカ側だけが日本を助けてくれるという事で良いのかという問題が一つにあるのです。思いやり予算と言い日本は駐留米軍経費の一部である数百億円を負担しています。しかし湾岸戦争のときに国連により各国が参加する中、日本は憲法の制約により約3兆円という莫大な戦費を供出し貢献したにもかかわらず、顔が見えない・血を流さないと全く評価されませんでした。

金銭だけで戦わず高見の見物しているのかということですが、先の大戦で国連つまり日本に勝利した連合国は、敗戦国の日本がお金出すのは当然、さらにせっかくの自衛隊があるのだから出せよと、どこまでも日本を支配下においているようなものだと思います。

これでは意味が無いと、この湾岸戦争を機に自衛隊の海外派遣が実施されることになったのですが、そのたびに問題となるのが憲法第9条なのです。何とか派遣するべく、内閣法制局にとどまらず、国会そして有識者によるこじつけに近い解釈を生み出し、左翼からは拡大解釈と批判されながらも自衛隊による海外派遣貢献が始まり今日に至っているのです。

憲法改正、さらには新憲法制定の議論の中心は第9条なのです。左翼勢力は「平和憲法」といい改正・新憲法制定に反対します。改正なりで日本が戦争をできる国になると主張します。しかしこれだけの議論になるのですから第9条はまさしく中途半端と言えるかもしれません。さらに改正等のハードルが高いということであれば解釈により運用していくしかないのです。

憲法第9条は、日本の国際貢献という大きな意義もありますが、日本の国力の誇示という仮想敵国への抑止力の足枷にもなっているのです。前政権時には目立ちはしませんでしたが、現安倍政権が政策として掲げる「集団的自衛権」ですが、日本にとってどのような意味を持ち、どのようなメリットがあるのでしょうか。

まずは以下に述べることについてしっかりと認識していただきたいと思います。集団的自衛権も交戦権も、外交上は自国の利益になる時に使える「自然権」であって、メリットしかありません。メリットしかないのですから両権利とも明確に使えることにしないと宝の持ち腐れということになりかねません。むしろ使えないと敵国に一方的にやられてしまうということになります。

「自然権」とは、生きていれば誰にでも空気を吸う権利があるというように、どこの誰にでも自然に与えられた権利のことです。内閣法制局ですら、集団的自衛権は国家の自然権だとすることをずっと求めてきていました。内閣法制局は名前の通り内閣府の一局で、内閣が所管する機関です。内閣が行う政策の法律判断をする官庁で、法務省の一機関ではありません。報道されたように安倍政権により、集団的自衛権を容認する長官が任命されました。

集団的自衛権は憲法第9条の解釈上認められないと、内閣法制局がこれまで言っているだけなのです。最高裁判所が「集団的自衛権」について判断したことはありません。仮に、内閣法制局により集団的自衛権の行使可能の解釈がなされ、左翼か誰かに憲法違反の可能性ありと最高裁に提訴されても、9分9厘最高裁は「国の統治行為」として判断するには至りません。私には憲法第9条の条文をどのように解釈しても認められない理由がわかりません。つまり解釈を変更しさえすれば、メリットしかない集団的自衛権を行使できるということになります。

国連憲章51条は、「国連加盟国は(自分たちに対する)武力攻撃が発生した場合、個別的・集団的自衛権を有する」と明示しています。第二次世界大戦で敗戦した日本とアメリカなど連合国とが1951年に締結したサンフランシスコ講和条約にも、「日本は主権国家として国連憲章51条に言及された個別的・集団的自衛権を有する」と規定されています。

国際法上、一般的に言うと「個別的自衛権」とは、自国に対する武力攻撃に実力をもって阻止する権利をいい、「集団的自衛権」とは、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利をいうと解されています。日本が国際法上「集団的自衛権」を有していることは、主権国家である以上当然のことなのです。

しかし憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと解釈されてきたのです。日本は、自衛権の行使に当たっては我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することを旨としているのであるから、集団的自衛権の行使が憲法上許されないからといって不利益が生じるということではありません。

確認の為に「個別的自衛権」をさらに詳しく具体的に説明すると、日本が攻撃を加えられた場合に自衛のために武力を行使する権利のことを言います。そして条件というか要件として次のように解釈し定義されています。

・我が国に対する急迫不正の侵害があること
・これを排除するために他の適当な手段がないこと
・ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

であり、個人における正当防衛の解釈と同様といえます。そして「集団的自衛権」の行使とは、同盟国であるアメリカが攻撃を受けた際に、日本が攻撃されていなくともアメリカを守るべく武力を行使することである、とされています。

話が少しそれますが、韓国の愚かさを象徴しているので説明すると、先日米国ワシントンを訪問中だった韓国政府高官が、「(日本の集団的自衛権が) 韓半島と韓国の主権に関連する場合は、我が国政府の同意が必須だ」として、韓国とはまったく関係ない日本の自衛権に対する追求方針を公式化発言してしまいました。この過程で「日本の軍国主義回帰」「自衛隊の韓半島進出」といった多少刺激的な仮定が提起されたため、日本の右傾化様相に敏感な国内感情を意識してしまったと思われます。

右京雄一

2) へつづく・・・

最高裁判断、非嫡出子の相続分について(2013/09/06)

世界的社会状況そして同様に日本における多様化社会になじめなくなったと言うことでしょうが、民法の規定にある婚外子の相続が法律婚の子供の二分の一というのは、憲法第14条の法の下の平等に反すると、裁判官の全員一致で判断されました。

これまで最高裁の大法廷は1995年、「民法が法律婚主義を採用している以上、相続格差には合理的根拠がある」として最高裁は立法裁量権の範囲内であり違憲とまではいえないとしてきました。合理的根拠を詳しく述べないことがいかにも最高裁であると思えます。確かにどのような状況にあろうが生まれてきた子供には何の罪もありません。民法のこの規定だけを取り上げれば、同じ子供と言うことで平等であることは当然と思います。今回の判断が純粋に婚外子の相続だけを判断したことは理解できますが、簡単には、「はい、そうですか」と割り切ることは出来ないと思います。

明治時代に生まれた民法には充分に日本社会の倫理道徳観等の背景があったことは間違いありません。昨今の自由恋愛、同姓婚、シングルマザーと確かに日本社会にも多様化があり、それはその権利としても法の下の平等は当然です。しかし、それでは昨今言われているところの社会システムの崩壊、倫理観の欠如、現代社会の落とし穴等に言われる社会問題として複雑な殺伐とした社会の原因とも言われることの拡大になってしまうのではないかと思います。

この最高裁による判断が、日本社会の複雑さに、より一層の拍車がかからないことを望みますが、最高裁判断の背景には沢山の矛盾、そして悪意による策略に対応できる法整備が整っていない落とし穴もあるのではないか思います。せめて関連する法整備を急がせる判断をすることで近い将来の違憲判決をすべきだと思います。以前の判断から18年経つとはいえ、いきなりの違憲判断ではなく段階的な判断と言う手法もあったのではないかと思います。

それではどのような矛盾や問題が生まれてくるのでしょうか?

その前に、嫡出子と非嫡出子、婚外子、私生児とは、を簡単に説明しておきます。嫡出子は法律婚、ごく一般的に男女が結婚し役所に婚姻を届け出、出生届もその父と母として届けられた法律的にもごく自然な子供を言います。非嫡出子は正式な婚姻関係にない両親から生まれた子供のうち、父親に認知された子供です。よく言う事実婚もそうであり、こうした場合には内縁関係と呼ばれてしまいます。非嫡出子において父子関係が発生するためには認知が絶対に必要となります。認知もされない子や父親が不明の子は、母親の私生児となります。近代社会において非嫡出子とか私生児という言い方には問題がありとのことで、併せて婚外子と呼ぶようになりました。

非嫡出子は母の氏を称することになります。父の氏への変更は家庭裁判所の許可により可能ですが、この場合には子は父の戸籍に入ります。戸籍の父母との続柄欄において嫡出子は「長男」「長女」のように記載されますが、非嫡出子はこれまで「男」「女」でしたが10年ほど前に改正され、非嫡出子出生の届出がされた場合、嫡出子と同様に「長男」「長女」といった記載がなされることとなりました。これに対して住民票における世帯主との続柄記載は、1995年3月に行政の責任において一律に「子」と更正されています。よくいろいろな書類に関係続柄とありますが、長男長女でも、子と書いてもよいことがわかります。

改めて矛盾と問題点です。
一、 フランスのパクス法のように、国家の戸籍制度を故意に無視して届けをしない夫婦にも、正規の夫婦と同じ権利を認めたのでは、やがて婚姻・戸籍制度の解体への道を歩むことになり、左翼が望む家族形態の崩壊に繋がりかねません。いくら自由社会といえども、同性愛のカップル、同棲のカップル、とりあえずの寡婦手当て狙いカップル、等これらの多様な形態の家族全てをノーマルな家族と同様な家族として認めてもよいのかと言う点です。

二、 法律婚の正妻側の資産(妻の親の遺産、妻が働いて稼いだ給与の貯金等)が、妻が夫より先に死んだ場合、まずは夫に相続され、そして夫つまり父親が死ぬと愛人の子にも相続されてしまうことになります。法律が認める婚姻制度により正式な妻のほうが不利益となってしまいます。さらに愛人なりが先に死んでも、正妻側の子供つまり嫡出子には愛人の資産の相続がありません。人の遺産に関して正妻の子供にも相続権がないと法の下の平等とはいえないと思います。

三、 判決を下した裁判長竹崎博允最高裁長官は来年70歳をもって定年退職してしまい、国民審査で×をつける事さえできません。確か他に2名の判事が該当しています。

四、 1995年の時には「国民の意識」が最高裁により違憲であると判断するのに反対で結果的に合憲になりましたが、今回は世論調査やアンケートなど一切していません。ネットなどでは反対意見が噴出していると見受けられます。特にごく普通の女性であれば愛人の、と言うだけで大反対であることが当然で、8年経って国民の意識は変化してないのに 「国民の意識の変化」だと全く実態も根拠の無いものを「国民の意識」として判断をしている点です。

五、 嫡出子側の「幸せな家庭を壊され家から追い出され、約40年間精神的苦痛に耐えて生きてきた。婚外子側は生前に相当な財産を譲り受けた。どこが不平等なのか」という意見は無視されましたが、婚外子と嫡出子を同等とする最高裁は愛人制度を推奨しているとしか思えません。

六、 精神的に被害を受けてきたのは本妻です、その被害は人として女性としての誇りを傷つけられた金銭では置き換えられないことです。そして物理的、金銭的に被害を受けるのは法律で認められた婚姻により生まれた嫡出子になってしまいます。 そしてそもそも相続権のない私生児については存在価値すらないのでしょうか? いくら私生児といえども「法の下の平等」に変わりはありません。

七、 重婚を法律で否定しているのに、さらに貞操の義務があるのに、非嫡出子の相続が嫡出子と同等であるのは法の下の平等であるとは言えないと思います。一夫一婦制の否定としか理解できません。

八、 法の下の平等で、嫡出子と非嫡出子が平等なら、その母親の正妻には相続二分の一があり、同じ母親である愛人には相続ゼロというのも平等とも言えなくなります。

九、 諸外国の非嫡出子の比率が極めて高いことに比べ、日本では全体の2%くらいです。わずか2%の為に、残りの98%が正式な法律の下に認められているのに不利益となってしまいます。

十、 父親の不貞行為の慰謝料を父親&愛人が正妻に支払い、その上で、嫡出子と非嫡出子を平等にというならまだ理解できます。

十一、 おそらく嫡出子は、父親が病気になり介護をし、亡くなれば葬儀のみならず何かと貢献をすると思います。相続は等分じゃなくて「貢献度」に応じるのが一番の平等と言えるのではないでしょうか。

十二、 私がもっとも懸念するのが、これで皇室典範にある皇族は嫡出子(直系嫡男男子)に限るという規定も違憲になってしまう可能性があると言うことです。まさしく共産党左翼の思う壺であり、天皇家の存続にとっても極めて重要な判決であると思います。

婚外子国籍訴訟では、国籍法の規定を違憲と初判断した判決がありました。その判断を受けて、2008年の臨時国会で「国籍改悪法案」が国会議員の怠慢でDNA鑑定をしなくても簡単に中国人や南朝鮮人の女性の訴えで取得できるようになってしまいました。

同様に、悪意ある第三者が子供を連れて婚外子だからこの子にも相続権があると言い出したらどうなってしまうでしょう。婚外子に関しての法整備が進むとは思いますが、下手をすると悪用し放題ということになってしまいます。ましてや日本の生活保護を求め、中共人や南朝鮮人が押しかけてきています。

父子関係の証明の問題に関連してDNA鑑定による親子鑑定が取り上げられることもありますが、プライバシー保護の観点から諸外国でもDNA鑑定の立法には慎重な姿勢をとっています。しかし日本の隣には中共・南朝鮮人が日本のお金を虎視眈々と狙っているのです。子供のDNA検査及び、父親が死亡する前に何らかの法的手続きが必要となる法的整備を整えないととんでもないことになりかねません。

産ませた男に
一、DNA検査を強制的に受けさせる
二、親子関係が明確になり次第認知させ婚外子を認めさせる
三、財産を相続させる

少なくともこの過程を経ていなければ嫡出子と同等の相続にはすべきではありません。

しかし誰が何と言おうが、この最高裁の意見判断は法的判断とか理論でもなく、それ以前の問題として、まずは人間として道徳倫理的問題を無視してはいけないと思います。婚外子ということは、一般的に考えれば家庭以外に、もしくは別に妾・愛人等を作るという100%エゴである男の我儘勝手な欲望であり、本妻に限らず女性に対しての最大の冒涜であり、妾や愛人に対しても女性の尊厳を踏みにじることに他なりません。

全ては男性のエゴの結果であり、男としての情けなさであり、まずは法律で罰せられなくとも、お金には換算できなくとも(もっとも簡単に換算できたり、お金のほうが良い場合もありそうですが・・・)正妻には充分な慰謝料を残した上で(相続としては二分の一でも慰謝料はさらにプラス)婚外子にも相続させるべきだと思います。

このような婚外子の相続が問題になること自体が本来はあってはならないことです。果たしてこのようなことを巻き起こす男は女性をどのように思っているのでしょうか? 人として男として、人の道、男の道を外さなければよいだけのことではないでしょうか? 最高裁の判事は、戦国武将時代の江戸時代以前の感覚なのでしょうか? 今回の判断は、女性の尊厳を犯した最悪の判断と思います。

全ての女性の皆さん、貴女方の誇りを傷つけたこの最高裁の判断に怒りの声を挙げてください。民法の改正は立法機関である国会です。国会が立法しても国会議員が反対すれば民法改正は成立しません。三権分立、その前提となる国民主権、最高裁の判断にノーを言えるのは国民です。