皇室について」カテゴリーアーカイブ

天皇陛下のご公務(2011/11/28)

新年祝賀の儀
毎年1月1日,皇居において,天皇陛下が皇后陛下とご一緒に,皇太子殿下をはじめ皇族方,衆・参両院の議長・副議長・議員,内閣総理大臣,国務大臣,最高裁判所長官・判事,その他の認証官,各省庁の事務次官など立法・行政・司法各機関の要人,都道府県の知事・議会議長,各国の外交使節団の長とそれぞれの配偶者から,新年の祝賀をお受けになる儀式です。国事行為たる儀式とされています。

新年一般参賀
毎年1月2日,皇居において,天皇皇后両陛下が国民から祝賀をお受けになる行事です。天皇皇后両陛下が皇族方とご一緒に,随時宮殿のベランダにお出ましになり,直接国民から祝賀をお受けになっています。その際,天皇陛下のお言葉があります。参賀者は皇居正門から入門して宮殿東庭で祝賀の上,退出します。

天皇誕生日祝賀・一般参賀
毎年12月23日の天皇陛下のお誕生日をお祝いして,次の行事が行われています。

祝賀の儀
天皇陛下が,皇太子殿下はじめ皇族方,内閣総理大臣,衆・参両院の議長,最高裁判所長官から祝賀をお受けになる儀式です。

宴会の儀
天皇陛下が皇后陛下とご一緒に,衆・参両院の議長・副議長・議員,内閣総理大臣,国務大臣,最高裁判所長官・判事,その他の認証官,各省庁の事務次官など立法・行政・司法各機関の要人,都道府県の知事,各界代表者とそれぞれの配偶者を招いて宴会を催され,祝賀をお受けになる行事で,皇太子殿下をはじめ皇族方も列席されます。

茶会の儀
天皇陛下が皇后陛下とご一緒に,各国の外交使節団の長とその配偶者を招いて茶会を催され,祝賀をお受けになる行事で,皇太子殿下をはじめ皇族方も列席されます。

一般参賀
天皇陛下が,国民から祝賀をお受けになる行事です。午前は,天皇皇后両陛下が皇族方とご一緒に,随時宮殿のベランダにお出ましになり,直接国民の祝賀をお受けになっています。その際,天皇陛下のお言葉があります。参賀者は皇居正門から入門して宮殿東庭で祝賀の上,退出します。午後は,宮殿において祝賀行事が行われるため,天皇皇后両陛下と皇族方のお出ましはなく,参賀者は坂下門から入門して,宮内庁庁舎前で記帳するか,名刺を提出の上,退出します。

親任式
天皇陛下が内閣総理大臣(国会の指名)と最高裁判所長官(内閣の指名)を任命される儀式です。内閣総理大臣の場合は,衆・参両院の議長が侍立し,天皇陛下から任命する旨のお言葉があった後,前内閣総理大臣から官記(任命書)が伝達されます。最高裁判所長官の場合は,天皇陛下から任命する旨のお言葉があった後,内閣総理大臣から官記(任命書)が伝達されます。

認証官任命式

任免につき天皇の認証を必要とする国務大臣その他の官吏(認証官といいます)の任命式です。任官者は,内閣総理大臣から辞令書を受け,その際,天皇陛下からお言葉があるのが例です。なお,次の官職が認証官です。
国務大臣,副大臣,内閣官房副長官,人事官,検査官,公正取引委員会委員長,宮内庁長官,侍従長,特命全権大使,特命全権公使,最高裁判所判事,高等裁判所長官,検事総長,次長検事,検事長
年間平均すると約30件あります。

勲章親授式
大綬章等勲章親授式
大綬章等の勲章の親授式で,春季と秋季,皇居において行われます。天皇陛下から受章者に勲章が授与され,引き続き内閣総理大臣から受章者に勲記が伝達されます。
文化勲章親授式
文化勲章の親授式で,11月3日,皇居において行われます。天皇陛下から受章者に文化勲章が授与され,引き続き内閣総理大臣から受章者に勲記が伝達されます。

信任状捧呈式
新任の外国の特命全権大使が信任状を天皇陛下に捧呈する儀式です。外務大臣または他の国務大臣が侍立することとされています。なお,大使一行の皇居への送迎に際しては,大使の希望により,皇室用の自動車か馬車が提供されています。年間平均約35件あります。

ご会見・ご引見など

ご会見
天皇陛下が皇后陛下とご一緒に,来日された外国の元首・夫人などの賓客とお会いになることをご会見といい,両陛下はこれらの賓客と親しくお話し合いになります

ご引見
天皇陛下が皇后陛下とご一緒に,外国の首相や大使,その夫人などの賓客とお会いになることをご引見といい,両陛下はこれらの賓客と親しくお話し合いになります。皇太子同妃両殿下をはじめ皇族方も外国の賓客と親しくお会いになっています。あわせて年間約140件あります。

拝謁・お茶・ご会釈など

天皇皇后両陛下にお会いすることを拝謁といいますが,社会福祉・医療・教育・文化・学術・産業など各分野で功績があった人が主としてその対象となります。

両陛下は,文化勲章受章者・文化功労者・日本学士院賞受賞者・日本芸術院賞受賞者,駐日の外交団,赴任・帰朝大使夫妻など内外の要人をお招きになって,お茶や昼食会などを催されています。
そのほか,内閣総理大臣や国務大臣が天皇陛下に所管事項などをご説明する内奏や,専門事項などを両陛下にご説明するご進講や皇居内の清掃奉仕のため全国各地から集まる人々とお会いになるご会釈などがあります。両陛下はこれらの機会を通じて多くの人々と親しく接しておられます。

皇太子同妃両殿下はじめ皇族方も,天皇皇后両陛下とご一緒に,あるいはご単独で,国内・国外の多くの人々とお会いになっています。さらに天皇皇后両陛下 ご会釈 勤労奉仕団(平成22年中:224団体,7,033人)があります。

午餐・晩餐
天皇皇后両陛下は,国賓・公賓・公式実務訪問賓客など外国からの賓客の来日に際し,宮殿や御所において,昼食会や夕食会を催されています。国内の要人等をお招きになって昼食会などを催されることもあります。皇太子同妃両殿下はじめ皇族方も,天皇皇后両陛下とご一緒されたり,あるいはご単独で昼食会や夕食会を催されています。

園遊会
毎年,春と秋の2回,赤坂御苑で催されます。天皇皇后両陛下は,衆・参両院の議長・副議長・議員,内閣総理大臣,国務大臣,最高裁判所長官・判事,その他の認証官など立法・行政・司法各機関の要人,都道府県の知事・議会議長,市町村の長・議会議長,各界功績者とそれぞれの配偶者約2,000人をお招きになって,親しくお話しになっています。

皇太子同妃両殿下はじめ皇族方が出席されるほか,春の園遊会には,各国の外交使節団の長以下の外交官・各国の領事館の長とその配偶者・令嬢も招待されます。なお,各界功績者は,産業・文化・芸術・社会事業などの分野で功労のあった人です。

宮中祭祀 別項に詳細
天皇皇后両陛下は,宮中の祭祀を大切に受け継がれ,常に国民の幸せを祈っておられ,年間約20件近くの祭儀が行われています。皇太子同妃両殿下をはじめ皇族方も宮中祭祀を大切になさっています。

宮中三殿
皇居の中の、賢所、皇霊殿、神殿の総称

賢所
皇祖天照大御神がまつられています。

皇霊殿
歴代天皇・皇族の御霊がまつられており,崩御・薨去の1年後に合祀されます

神殿
国中の神々がまつられています。
三殿に附属して構内に,神嘉殿(しんかでん)・神楽舎(かぐらしゃ)・綾綺殿(りょうきでん)・奏楽舎(そうがくしゃ)・幄舎(あくしゃ)等の建物があります。

祭典
天皇陛下ご自身で祭典を行われ,御告文(おつげぶみ)を奏上されます。

大祭、小祭
掌典長が祭典を行い,天皇陛下がご拝礼になります。

旬祭(しゅんさい)
毎月1日・11日・21日に掌典長が祭典を行い,原則として1日には天皇陛下のご拝礼があります。

ご署名捺印
閣議決定 年間約1000件
宮内庁関係  年間約1500件
海外条約・協定・覚書等  年間約600件
今上陛下は、全てに目を通され「明仁」と署名されご捺印されます。


右京雄一研究室
2671.11.28

 

皇室の文化(2011/11/03)

講書始

講書始の儀(宮殿 松の間)

講書始の儀は,毎年1月,皇居において,天皇陛下が皇后陛下とご一緒に,人文科学・社会科学・自然科学の分野における学問の権威者から説明をお聴きになる儀式です。皇太子殿下をはじめ皇族方が列席され,文部科学大臣,日本学士院会員,日本芸術院会員などが陪聴します。

講書始の儀は,明治2年,明治天皇が学問奨励のためにお定めになった「御講釈始」がそのはじまりとされています。当時は国書,漢書についてのご進講が行われ,その後,洋書も加わるようになり,昭和28年からは,現在のように3つの分野から行われるようになりました。

歌会始
天皇がお催しになる歌会を「歌御会」といいます。宮中では年中行事としての歌会などのほかに,毎月の月次歌会が催されるようにもなりました。これらの中で天皇が年の始めの歌会としてお催しになる歌御会を「歌御会始」といいました。

歌御会始の起源は,必ずしも明らかではありません。鎌倉時代中期,亀山天皇の文永4年(1267年)1月15日に宮中で歌御会が行われており,『外記日記』はこれを「内裏御会始」と明記しています。以後,年の始めの歌御会として位置づけられた歌会の記録が断続的に見受けられます。このことから,歌御会始の起源は,遅くともこの時代,鎌倉時代中期まで遡ることができるものといえます。


雅楽

日本には上代から神楽歌・大和歌・久米歌などがあり,これに伴う簡素な舞もありましたが,5世紀頃から古代アジア大陸諸国の音楽と舞が仏教文化の渡来と前後して中国や朝鮮半島から日本に伝わってきました。雅楽は,これらが融合してできた芸術で,ほぼ10世紀に完成し,皇室の保護の下に伝承されて来たものです。その和声と音組織は,高度な芸術的構成をなし,現代音楽の創造・進展に対して直接間接に寄与するばかりでなく,雅楽それ自体としても世界的芸術として発展する要素を多く含んでいます。

蹴鞠
蹴鞠(けまり)は,約1,400年前の大和朝廷時代に,中国から我が国に伝えられたといわれる球戯の一種です。勝敗はありません。我が国では,時代によって宮中において盛んに鞠会が催され,平安時代中頃以降の古文書には,鞠会の記述がしばしば見られます。


古式馬術(打毬・母衣引)

打毬は,中央アジアの一角に発したといわれ,西に流れたものがヨーロッパに伝えられて「ポロ」となり,一方,東に流れたものが中国で打毬となり,やがて朝鮮半島を経て8~9世紀頃我が国に伝わったようです。その後,奈良・平安時代には,端午の節会の際に行われる宮中の年中行事となりました。鎌倉時代以降は衰微していましたが,江戸時代に至り,八代将軍吉宗が騎戦を練習する武技としてこれを推奨したため,新しい競技方法も編み出され,諸藩においても盛んに行われるようになりました。明治以降,日本古来の馬術は実用に適した西洋馬術に圧倒され,打毬もまた洋鞍を用いる現代式打毬に転化されましたが,宮内庁主馬班には,現在,江戸時代(中期頃)最盛期における様式の打毬が保存されています。

母衣引は、平安時代から室町時代にかけての記録では,母衣,保侶,母廬等の語が見られ,語源上単一ではなく,また,その形状や使用方法も必ずしも明確ではありませんが,当時,「ほろ」は戦場で矢を防ぐための武具あるいは戦袍として用いられたものであろうといわれています。やがて,戦いのなくなった江戸時代(中期)に移ると,様式美を伝える馬術として母衣を引くことが行われ,諸大名の馬の催しの際に供覧されるようになりました。現在,宮内庁主馬班が伝承している母衣引は,この時代のものです。


鴨場

現在,宮内庁が管理している鴨場は,埼玉県越谷市の「埼玉鴨場」と千葉県市川市の「新浜鴨場」の2か所があり,両鴨場のそれぞれ約13,000平方メートルの元溜(もとだまり)と呼ばれる池には,毎年1万羽を超える野鴨などの渡り鳥が越冬のため飛来しています。

鴨場は,鴨の狩猟期間(11月中旬から翌年2月中旬)に,天皇陛下の思召しにより内外の賓客の接遇の場として使用されています。

御料鵜飼
岐阜県の長良川では,毎年5月中旬から10月中旬の間,1300年来我が国の古代漁法として伝承されてきた鵜飼漁が御料鵜飼として皇室の保護のもとに行われています。皇室と鵜飼の歴史は古く,律令時代には鵜飼人(鵜匠)が宮廷直属の官吏として漁をしていた記録があります。その後,各地の鵜飼は諸大名の保護のもとで続けられますが,長良川の鵜飼は,尾張徳川家の保護を受けて続けられてきました。しかし,明治維新とともに保護も無くなり,古代漁法として伝承されてきた鵜飼漁法は消滅の危機に瀕しました。そうした中,明治23年,時の岐阜県知事の要請を受けて,宮内省は鵜匠に職員の身分を与えるとともに,長良川に3か所の御料場を設置し,引き続き,御料鵜飼として鵜飼漁が行われるようになりました。現在,御料鵜飼は,古津地区及び立花地区の両地区において宮内庁式部職鵜匠により,毎年8回ずつ行われており,このうち古津地区の2回は,駐日外国大使夫妻等を招待し,日本の伝統文化である鵜飼漁を紹介しています。

書陵部所蔵資料
書陵部で所蔵している歴史的資料は45万点以上に達します。これらを大きく分けると3つに分けられます。

代々皇室に伝わってきたものを中核とする古典籍・古文書類
歴史的資料として保存されている明治以降の宮内省・宮内府・宮内庁の公文書
宮内庁が管理している陵墓等から出土した考古品

三の丸尚蔵館

三の丸尚蔵館は,皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品などの美術品類に加え,故秩父宮妃のご遺贈品,香淳皇后のご遺品,故高松宮妃のご遺贈品が加わり,現在約9,500点の美術品類を収蔵しています。

・正倉院宝物

歴代天皇の御陵と資料にリンクしています。(宮内庁ホームページより)


皇室に関しては、あのアインシュタイン博士もここまで評価しています。
これは1922年11月16日に初来日して40日間日本に滞在したアインシュタイン博士が伊勢神宮参拝の際の講演時に残したメッセージといわれています。

「近代の日本ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的な発展には、他の国と異なる何かがなくてはならない。日本は3000年の歴史を通して一系の天皇を戴いてこれたということが、今日の日本をあらしめたと断言できる。私はこのような尊い国が世界のどこかに一カ所くらいなくてはならないと常々考えていた。世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときがやってくる。その時、人類は本当の平和を求めて世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主になるものは、武力や財力ではなく、あらゆる国の歴史を遥かに越えた、最も古く、最も尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らなくてはならない。我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国を作っておいてくれたことを……」(大正12年 雑誌『改造』より)


右京雄一研究室
2671.11.3

宮内庁ホームページ、書稜部資料より引用あり

皇室の儀式(2011/11/03)

懐妊から誕生

着帯の儀(ちゃくたいのぎ)
懐妊した女性皇族が、妊娠9ヶ月目の戌の日に、安産を祈念して行う。天皇から絹の帯が贈られ、帯親が懐妊中の女性皇族に届け、女性皇族の夫が衣服(現代ではロングドレス)の上から結びつける。なお、妊娠5ヶ月目に内着帯(ないちゃくたい)が行われるが、正式な儀式ではない。

賜剣の儀(しけんのぎ)
皇室に子供が生まれた際に、天皇から子供の健やかな成長を願い子を守る目的の守り刀を授かる儀式。小刀は白木の鞘で赤い布に包まれ桐箱に入れられ、宮中で天皇の意思を受けた使者(勅使)に託され、勅使が代行として子の元に赴き、子の枕元に供える。

胞衣埋納の儀
胞衣(胎盤)を納めた壷を地中に埋める。少なくとも、清宮貴子内親王の誕生までは行われていた[*1]。

浴湯の儀(よくとうのぎ)
誕生7日目に行われる。部屋を二つに仕切り、一方で女官が子を湯浴みさせる。もう一方では衣冠単姿の読書役(とくしょやく)が古典の一説を朗読し、鳴弦役(めいげんやく)が掛け声とともに弓の弦を引く。なお、湯浴みは状況に応じ真似だけの場合もある。

命名の儀(めいめいのぎ)

誕生7日目に行われる。子の名を筆で記した和紙と、子が身の回りで使う物に記す「お印」を記した和紙を一緒に桐の箱に入れ子の枕元に供える儀式。この儀式の翌日に正式な皇室の一員として皇統譜に名が記録される。一般における「お七夜」。

三殿奉告の儀(さんでんほうこくのぎ)
命名の儀と同時刻に、宮中三殿に子の誕生と命名を奉告する。

賢所皇霊殿神殿に謁するの儀(かしこどころこうれいでんしんでんにえっするのぎ)
誕生後50日目に賢所、皇霊殿、神殿の宮中三殿を、子が初めて参拝する儀式。一般における『お宮参り』。

お箸初め(おはしぞめ)
誕生後100~120日目に子の健やかな成長を願い、新しい椀や箸などの膳に小豆の御粥を用意し、それを子に食べさせる儀式。しかし実際には食べる真似だけである。一般における『お食い始め』。

成長

着袴の儀(ちゃっこのぎ)
子が数え5歳の時に、『賜剣の儀』の際に贈られた袴を着用する儀式[2]。男子は滝の意匠をあしらった和服「落滝津の御服」の上に白絹の袴、女子は濃色(こきいろ:濃い赤紫色)の小袖と同色の袴を、それぞれ着用する。

深曽木の儀(ふかそぎのぎ)
着袴の儀に引き続き行われる。着袴の儀で着用した和服と袴に加え、男子はさらに童形服を、女子はさらに袿を、別室で着用する。男子の場合、子は松と山橘の小枝を持って碁盤の上に乗り、子の髪を少し切った後、子は掛け声とともに飛び降りる[2]。女子の場合、衵扇(あこめおうぎ:檜扇とほぼ同義)を手にして儀式が終了したとされ[3]、碁盤の上に乗らない、または碁盤の上に乗るが飛び降りない等の諸説がある。もともと、着袴とは独立した儀式だったが、近世までに同時に行うようになった。着袴の儀・深曽木の儀の終了後、宮中三殿を参拝する。

成年式

皇族男子が成年に達した際に行われる。なお皇室典範において、天皇・皇太子・皇太孫の成年は18歳(22条)でその他の皇族についての年齢規定は無いが、20歳になった際に行われている。

冠を賜うの儀
成年となった皇族男子の自宅で、天皇に遣わされた使者から、皇族男子が冠を受け取る。

加冠の儀(かかんのぎ)
成年となった皇族男子は、未成年の装束である闕腋袍(けってきのほう)に白絹の袴という出で立ちで、手には笏を持ち、頭には未成年の被り物である空頂黒幘(くうちょうこくさく)を被った姿で、先導役に導かれて天皇・皇后および参列者の待つ皇居内の広間へ入場する。次いで加冠役が空頂黒幘を外し、燕尾纓(えんびのえい)の付いた冠を被せ、冠に掛緒を付けた後、あごで結び、緒の両端を切り落とす。つづいて成年した皇族男子が、天皇・皇后の前へ歩み出て感謝と覚悟を奏上する。同様にして両親にも感謝の言葉を述べて、儀式は終了する。

成年した皇族男子は、この後、成年の装束である縫腋袍(ほうえきのほう)、垂纓(すいえい)の冠に着替え、宮中三殿を参拝する。

朝見の儀
成年になってはじめて、天皇・皇后に会う儀式。洋装で行われる。九年酒を順番に口にし、儀式料理に箸を立てて、終了する。

この後、身位に応じて勲章(大勲位菊花大綬章など)が授けられ、成年式が終了する。終了後しばらくの間に、成年を報告するために、陵墓や神社を参拝する。

立太子の礼
少なくとも奈良時代には、天皇の詔によって皇太子が指名されていた。平安時代前期の『貞観儀式』にて立皇太子儀として定められ、確立された。10世紀の醍醐天皇からは、壷切御剣(つぼきりのぎょけん/みつるぎ)が皇太子の証として伝えられるようになった。かつては天皇が複数の候補者の中から皇太子を決めていたため、立太子の礼を行って皇太子を正式に定めること(立太子)は極めて重要な意義を持っていた。

しかし南北朝時代の崇光天皇(北朝)から江戸時代の後西天皇までの300年余り途絶え、復興されたものの、すでに立太子に先立って儲君治定(後継者指名)が行われるため、立太子の礼の後継者指名としての意味合いは低下していた。さらに明治以降は、皇室典範制定により、同法で定められた皇位継承順位に従って皇太子が決まるため、立太子の礼は完全に儀礼的なものとなった。

皇太子殿下の例
勅使発遣の儀(宮殿:竹の間)
賢所皇霊殿神殿に親告の儀(宮中三殿)

今上天皇が立太子の礼を行うことを神前に報告。

立太子宣明の儀(宮殿:松の間)

皇族に加え、海部俊樹首相を始め三権の長、都道府県知事(代理含む)、各国大使ら245名が出席。
天皇は黄櫨染御袍を、皇后は十二単の略装を、徳仁親王は黄丹袍をそれぞれ着用した。
天皇が「宣明」を読み上げ、徳仁親王が皇太子であることを宣言。徳仁親王が決意の言葉を述べ、
続いて海部首相が寿詞(よごと)を朗読して儀式は終了した。

宣明の儀に引き続き、鳳凰の間で、天皇から皇太子となった徳仁親王に壷切御剣が親授された。また、正午には鳳凰の間で衆参両院で決議された賀詞が天皇に奏上された。

賢所皇霊殿神殿に謁するの儀(宮中三殿)

徳仁親王が装束姿のまま宮中三殿に拝礼。

朝見の儀(宮殿:松の間)

洋装で行われた。徳仁親王が天皇・皇后に感謝と決意を奏上した後、九年酒を順番に口にし、
儀式料理に箸を立てて終了した。

宮中饗宴の儀(宮殿:豊明殿)

この後、徳仁親王は2月26日に伊勢の神宮を、27日に神武天皇陵を、28日に昭和天皇陵をそれぞれ拝礼し、立太子礼の終了を報告した。

結婚

納采の儀(のうさいのぎ)

一般における「結納」

告期の儀(こくきのぎ)

男性側の使者が、女性側に結婚の日取りを連絡する

入第の儀(じゅだいのぎ)

結婚の儀当日、男性側が女性側に迎えの使者を送る

結婚の儀(けっこんのぎ)

皇族男子の結婚の場合、結婚する男女が宮中三殿の賢所に拝礼する。一般における「結婚式」

朝見の儀(ちょうけんのぎ)

皇族男子の結婚の場合、結婚した皇族男子とその妃が、夫婦としてはじめて天皇・皇后に会う儀式。皇族男子が天皇に感謝と抱負を奏上し、天皇から祝福を受けた後、九年酒を順番に口にし、儀式料理に箸を立てて、終了する。

供膳の儀(くぜんのぎ)

結婚した皇族男子とその妃が、帰宅した後、自宅で行われる。儀式料理を前に、妃、皇族男子の順に酒を口にし、夫婦の固めの杯を交わす。その後、儀式料理に箸を立てて、終了する。

三箇夜餅の儀(みかよのもちのぎ)

子孫繁栄を祈念し、結婚した皇族男子とその妃の寝室で行われる。銀の皿4枚(天皇・皇太子以外は3枚)それぞれに妃の年齢の数の餅(碁石程度の大きさ)が盛られたものが用意され、夫婦がそれぞれの皿から一つずつ食べる。餅と皿はツバメの螺鈿模様を施した紫檀の箱に納められ、寝室に3日間飾られる。4日目に、縁起の良い方角に埋める。

宮中饗宴の儀(きゅうちゅうきょうえんのぎ)

皇族男子の結婚の場合、数日にわたって祝宴が催される。一般における「結婚披露宴」

神宮に謁するの儀

結婚した皇族男子とその妃が、三重県伊勢の神宮に結婚を報告する

践祚・即位

剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)
皇霊殿神殿に奉告の儀(こうれいでんしんでんにほうこくのぎ)
賢所の儀(かしこどころのぎ)

以上、三つの儀式が行われてはじめて、正統な皇位継承が行われたこととなる。

即位後朝見の儀

新天皇が、はじめて声明を発表する

前天皇の喪があけた後、大小さまざまな儀式が執り行われ、即位の礼および大嘗祭をむかえる。即位礼・大嘗祭の終了後、そのことを賢所に報告して、即位関連の儀式は終了する。以下には主なものを挙げる。

即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)

新天皇が即位したことを、自身で内外に宣明する。

祝賀御列の儀(しゅくがおんれつのぎ)

今上天皇の即位時には、オープンカーでのパレードとして行われた。

大嘗宮の儀(だいじょうきゅうのぎ)

大嘗祭のこと

死去

御舟入の儀(おふないりのぎ)

一般における「入棺」

斂葬の儀(れんそうのぎ)

一般における「本葬」

葬場の儀(そうじょうのぎ)

一般における「葬送」

墓所の儀(ぼしょのぎ)

一般における「埋葬」

崩御

死去したのが天皇・皇后・皇太后等の場合、その死は「崩御」と表現される。死にまつわる一連の儀式は「大喪の礼」と呼ばれる。


右京雄一研究室
2671.11.3

宮中の祭祀(2011/11/03)

宮中の祭祀

1月1日 四方拝(しほうはい)、歳旦祭(さいたんさい)
元日の午前5時30分に、今上天皇が黄櫨染御袍と呼ばれる束帯を着用し、皇居の宮中三殿の西側にある神嘉殿の南側の庭に設けられた建物の中に入り、伊勢の神宮の皇大神宮・豊受大神宮の両宮に向かって拝礼した後、続いて四方の諸神を拝する。元日の神嘉殿南庭において天皇が親行する四方拝に続いて、同日早朝午前5時30分から宮中三殿において掌典長が主宰し、祝詞をあげ、午前5時40分ごろ四方拝を済ませた黄櫨染御袍姿の天皇が拝礼し、黄丹袍姿の皇太子が続いて拝礼する。神宮をはじめ、全国の神社においては、皇統の繁栄と、五穀豊穣と国民の加護を祈念する中祭として行われる。

1月3日 元始祭(げんしさい)
現在では新暦1月3日、天皇が宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)においてみずから主宰する「親祭」であり、皇位の元始を祝う儀式である。

1月4日 奏事始(そうじはじめ)

1月7日 昭和天皇祭(しょうわてんのうさい)
歴代天皇の中で(神話上の天皇を除くと)在位期間が最も長く(約62年)、最も長寿(87歳)であった。

1月30日 孝明天皇例祭(こうめいてんのうれいさい)

2月17日 祈年祭(きねんさい)
祈年祭(きねんさい、としごいのまつり)は、毎年2月に行われ、一年の五穀豊穣などを祈る神道の祭祀である。

春分の日 春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)、春季神殿祭(しゅんきしんでんさい)
天皇が歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式のこと。

4月3日 神武天皇祭(じんむてんのうさい)、皇霊殿御神楽(こうれいでんみかぐら)
神武天皇を祭る皇室の祭祀(宮中祭祀)。大祭。また、戦前の祝祭日の一つ。初代天皇である神武天皇の崩御日にあたる4月3日に毎年行なわれ、神武天皇の天皇霊を祭る。崩御日は『日本書紀』によれば神武天皇76年(紀元前586年)3月11日であるが、これをグレゴリオ暦に換算して4月3日としている。宮中の皇霊殿と神武天皇陵に治定される奈良県橿原市の畝傍山東北陵で儀式が行われる。

6月30日 節折(よおり) 、大祓(おおはらい)
6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われる除災行事である。犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)という。6月の大祓は夏越神事、六月祓とも呼んでいる。なお、「夏越」は「名越」とも標記する。輪くぐり祭とも呼ばれる。701年の大宝律令によって正式な宮中の年中行事に定められた

7月30日 明治天皇例祭(めいじてんのうれいさい)

秋分の日 秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)、秋季神殿祭(しゅうきしんでんさい)

10月17日 神嘗祭(かんなめさい)
五穀豊穣の感謝祭にあたるもので、宮中および神宮(伊勢神宮)で儀式が執り行われる。

11月23日 新嘗祭(にいなめさい)
収穫祭にあたるもので、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる。

12月中旬 賢所御神楽(かしこどころみかぐら)

12月23日 天長祭(てんちょうさい)
その時在位中の天皇の誕生日を祝う日である。天皇誕生日は、慣例により日本の国家の日とされる。1948年(昭和23年)までは、天長節(てんちょうせつ)と呼ばれていた宮中では、祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀、一般参賀が行なわれる。伊勢神宮などの神社では天長祭が行なわれる。海外の日本大使館等の在外公館ではこの日を記念してレセプションが行なわれる(当日ではない)。

皇后の誕生日は地久節(前述天長地久から対比となっている)と呼ばれるが、戦前から国家の祝日にはなっていない。

12月25日 大正天皇例祭(たいしょうてんのうれいさい)
12月31日 節折(よおり)、大祓(おおはらい)
毎月1、11、21日 旬祭(しゅんさい)
毎日 日供の儀(にっくにのぎ)、毎朝御代拝(まいちょうごだいはい)

鎮魂祭(ちんこんさい、みたましずめのまつり)とは、宮中で新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式である。宮中三殿に近い綾綺殿にて行われる。石上神宮でも同日に行われている。天皇に対して行う場合には「みたましずめ」「みたまふり」と言う。鎮魂祭はかつては旧暦11月の2度目の寅の日に行われていた(太陽暦導入後は11月22日)。この日は太陽の活力が最も弱くなる冬至の時期であり、太陽神アマテラスの子孫であるとされる天皇の魂の活力を高めるために行われた儀式と考えられる。また、新嘗祭(または大嘗祭)という重大な祭事に臨む天皇の霊を強化する祭でもある。第二次世界大戦以後は皇后や皇太子夫妻に対しても行われている。

宇気槽の儀
鎮魂の儀では、宇気槽(うきふね)と呼ばれる箱を伏せ、その上に女官が乗って桙で宇気槽の底を10回突く「宇気槽の儀」が行われる。これは日本神話の岩戸隠れの場面において天鈿女命が槽に乗って踊ったという伝承に基づくとされている。『古語拾遺』に「凡(およ)そ鎮魂の儀は、天鈿女命の遺跡(あと)なり」とある。かつてこの儀は、天鈿女命の後裔である猿女君の女性が行っており、「猿女の鎮魂」とも呼ばれていた。

魂振の儀
鎮魂の儀の後、天皇の衣を左右に10回振る魂振の儀が行われる。これは饒速日命が天津神より下された十種の神宝を用いた呪法に由来するとされる。『先代旧事本紀』には、饒速日命の子の宇摩志麻治命が十種の神宝を使って神武天皇の心身の安鎮を祈ったとの記述があり、「所謂(いはゆる)御鎮魂祭は此よりして始(おこ)れり」としている。

皇室祭祀令との差異

2月11日 紀元節祭(きげんせつさい)は建国の日制定とともに廃止
『日本書紀』が伝える神武天皇の即位日として定めた祭日


右京雄一研究室
2671.11.3

宮内庁ホームページ、書稜部資料より引用